韓半島に被害を及ぼす黄砂や砂嵐は、アジア大陸のバダインジャラン、トングリ、ムウス、フンサンダクやゴビ砂漠及び黄土高原に至る砂漠やアジア大陸の乾燥及び半乾燥地域で、春季に最も多く発生しています。アジアにおける黄砂の発生地域は中国北部及びモンゴル地域が大部分となっています。
寒冷前線背後に強風が同伴する低気圧の移動に伴い、大気にまき上げられた砂(黄砂)により、1km未満の視程が頻繁に引き起こされます。
韓国で黄砂現象が初めて記録されたのは新羅の阿達羅王(174 A.D.)の時代の事で、これを「ウートゥ(雨土)」と呼んでいました。当時の人々は、神が怒り、雨や雪の代わりに黄砂を降らせたと考えていたため、王やその臣下らは、黄砂現象が起きるたびに慌てふためいたのです。百済の近仇首王(379 A.D.)時代には4 月に「黄砂が一日中降った。」との記録や、武王時代(606 A.D)3月には黄砂により百済の首都の空がまるで夜のような暗闇に包まれたという記録があります。
このような黄砂現象は主に春に発生していますが、記録には冬に発生したものも見られます。西暦644年の高句麗宝蔵王の時代には、10月に空から赤い雪が降ったとの記録があり、これは、当時黄砂が雪と共に降ったものと推測されます。
黄砂の定義は、「高麗史」に由来するものです。「雨に濡れていないにも関わらず、衣服が埃で覆われる。」 、「これをメ又はトーウと呼んだ。」と記されています。
朝鮮時代(1392~1910 A.D.)の1549年3月22日に次のような記録があります。「朝鮮の南西地域に位置する全羅道全州と南原で、全方向すみずみまで、まるで煙のように押し寄せる霧が発生した。家屋の瓦屋根、野原の草、木の葉がすべて黄褐色や白の砂で覆われた。払い落してみるとまるで埃のようで、積もったものを揺らすと舞い散った。このような気候現象は、1549年3月25日まで続いた。」 この記録は、韓国の黄砂現象の特徴を描写したものと言えます。
砂粒子の大きさは発生地では1~1,000umの範囲であるものの、長距離を移動する粒子は1~10 umに過ぎません。黄砂の場合、韓国で観測された粒子の大きさは1~10umですが、大きさは気候条件や発生地からの移動距離に応じて異なります。
黄砂現象の予報のための運用気象モデルである地域資料動画予測システム(RDAPS)が、S.U. Park博士の開発による気象モデルにて使用されています。このモデルの結果値は、ソウルで監視されているPM10濃度と比較使用されます。
時間当たりの空気中の粒子状物質の平均濃度(PM10)が、2 時間に渡り400um/㎡を超過する事が予測される場合に注意報が発令されます。
時間当たりの空気中の粒子状物質の平均濃度(PM10)が、2時間に渡り800um/㎡を超過する事が予測される場合に警報が発令されます。